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死生観をシェアする会2018年8月のの感想

今日開催した死生観をシェアする会にご参加いただいた方々に感想を書いていただきました。
今回は30代~50代まで個性的な面々でした。
お越しいただきありがとうございます。

??さん ??才
何度も参加していますが、毎回集まる方によって、内容がとても違い面白いので参加しました。今日は気持ちにしっくりしたコラージュができました。トークセッションでは価値観が違っても、話せる、聞ける機会というのは貴重だなと思いました。

あやめさん 27才
前回の参加の時色々な意見を聞いてから、時と共に死生観が変わってきたので、改めて自分を知りたく考えたくて参加しました。コラージュ作成では自分の中のばくぜんとしたものが形になって自分の死生観が明確になりました。トークセッションでは色々な意見を聞いて、自分の立ち位置を改めて知ることが出来たり、自分のとらわれから解放されたきたしました。またいつか参加します。

らいでんさん 56才
生と死について人の意見を聞いてみたかったので参加しました。コラージュ作成では人のイメージの多彩さに感心しました。みな自分自身の感性に正直だなと思いました。トークセッションでは一人ひとりの世界観の多様さが面白かった。またやって欲しい。

パート旅人さん 52才
みんなの死生観を聞いてみたかったし、こういう場に来る人は濃くて好きなので参加しました。コラージュ作成は、自分は頭人間なので、次回はもっと感性で作りたいと思いました。トークセッションでは、みなさんの心に響く言葉が楽しかった。

あなただけのバスマットさん 0.5才
知人に誘われて参加しました。コラージュ作成用の雑誌の中にあったゴッホの記事に夢中になってしまい、後半巻き返しました。「ひとつまみの塩」が全てだったかもしれません。トークセッションはトイレに行くのを忘れるほどトリップできました。自分の絶望と希望を今より抱きしめられそうです。

??さん 4?才
誘われたので参加しました。コラージュ作成はおもしろかったです。トークセッションいろいろな意見の中で価値観の違いを感じて楽しかった。ありがとうございます。

えいこさん 5?才
今回の開催を主催者からご案内いただいたので参加しました。前回は確か1年3~4か月前に参加したと思いますが、このくらい間が空くと、新鮮な気持ちになりちょうど良かったです。コラージュ作成では、どうも今回はあまり自分の死そのものをイメージできなくて、
むしろ「生まれてから死に向かって生きてきたこれまでの自分の歴史」のようなものに
意識が向いたので、時系列にたどるようなものにしました。自分の仕事に関わりのある写真があったので迷いなく貼り付けた後は、流れるようにその先の構図ができていきました。
コラージュは「たまたま見つけた図柄」との出会いもまた偶然ではなく必然なのかもしれないと感じました。トークセッションでは他のセミナーと違い、答えなどないことがわかっているトークは気負わず好きなことが言えるので気楽で楽しいと思います。私は死について考えることがあっても、積極的な「死にたい」衝動や生きていることへの怒りのようなものは自分の中にないので、様々な死生観があることを改めて考えました。参加者について深く知るでもないのに何となくどこかで関わってつながっていくような感覚が、何とも言えず心地いいです。

白馬で山菜取り 2018

2018.05.16 09:45|山菜・きのこ・木の実採集
ワサビ採り

季節はどんどん進む。
毎年少しずつ早くなっている気がする。
慌てて山菜取りに出かけた。


2018年収穫

コシアブラにはちょっと遅すぎたようだけど、
代わりにシオデがたくさん採れた。

タラも大量。
やっと解けた雪捨て場ではフキノトウも採れた。

他は、ワサビ菜、ウド、水菜、菊菜。

ミヤマイラクサには少し遅かった。

(高低差色々なところで採ってますよ)


ニセアカシア

帰りがけ、烏川沿いでニセアカシアの花を大量に採った。
これをジェラートにしてもらうんだー。

4月22日に開催した死生観をシェアする会のレポートです。

4月コラージュ
久しぶりに死生観をシェアする会を開催しました。
なんと今回は満席でお断りさせていただいた方もいたくらいでした。

まずみんなが揃ったら、今日呼んで欲しいお名前と大まかな年令だけの自己紹介をします。今回は主催者も含めて70代2人、60代1人、50代2人、30代1人40代3人と男性3名、女性6名とみんなバラバラです。
ステータス、体調、家族の状況、宗教観など、相手のことを知ってしまうと自分の考えを伝えられなくなってしまいそうな気がして、語ってしまう前にまず自分の死生観と向き合うためにコラージュを作成します。

一つ今までに見なかったような圧倒的に芸術的な作品が出来あがりました。あとでお話を伺うと子供の頃から持病があり、常に死と向き合ってきたとのこと。苦悩と芸術は表裏一体なのだと強く感じました。

kora-jyu.jpg

芸術的っていうのは私個人の中にある「芸術的カテゴリー」にあてはまっているという意味ですよ。コラージュの目的は芸術作品を作ることじゃなくて、自分の体や心にある感覚を目に見えるように貼ってみるのが目的ですから。芸術目指さなくてOKです。


4gatu.jpg

そして、手作りおやつを食べながら、トークセッションへ突入。

「生きるのは大変ですか?」という議題から

・妊娠した時、走っている車に飛び込みたいくらい思い詰めていた。産まれてしまったら、育てないわけにはいかない。生きる大変さを我慢し続けるか、死ぬかしか選択肢が無かった。なぜか途中で「我慢」or「死ぬ」の他に「戦う」という選択肢が降って来た。
・本当に大変な時期は日々をこなすのに精一杯で大変さを感じる暇がない。
・70代からの長い時間は大変。目的を見つけるのが大変。「今日・用(きょうよう)」を持つのが大変になる。
・母親が今の自分の年齢の頃、さぞかし大変だっただろうなぁと思う。
・今までは家族のために頑張るのが大変だったけど、今は自分のために何が出来るかをみつけるのが大変。
・若い頃はもっと大変だった。今は幸せと言えるレベルにはなってる。

大変真っ只中なのはもちろん大変だし、大変なことが無くなってからも大変なんですね。


そして、「健康に生きてる人はいつ・どういうきっかけで死について考えるようになるの?」

・丹波哲郎の映画「大霊界」を見て自殺するのは怖いことだと思った。
・遺品整理の仕事をしている人の本を読んでから、自分が死ぬであろうポイントを設定してそこから逆算して今何をしておくべきかを考えるようになった。
・第二次成長期くらいから生きているのがイヤだった。自殺したいのとは違うのに、単純に話しちゃうと分かってもらえなくて変な感じになる。
・祖父を自宅で看取った時に手を握っていた。生気が抜けていくのが手を通して感じられた。
・子供の時、自分はそんなに良いものではないから死んだら地獄に落ちるを信じていて怖かった。

核家族化が進んでいる上に病院で死を迎える人が多い昨今、お爺ちゃんお婆ちゃんなど先に逝く人の死を目の当たりにする機会は少ないですよね。色んな情報源や自分の感覚など死に興味を持つきっかけは様々ですね。


次は「なるべく迷惑をかけずに死にたいけど、どうしたら?」

・迷惑ってかける方側とかけられる側がいるよね。
・父が倒れてから私の姉妹が三年面倒をみて看取った。迷惑だとは思っていなかったと思う。自分がやらないと気が済まないようだった。
・尊厳死協会に入会して、カードをいつも財布に入れている。エンディングノートも毎年書き直している。
・葬送方法を自由に選択することに関わる仕事をしていた時、死後散骨を希望されていて費用も前納してくださっていた方がいた。ホームに入っていたのだけど、そこでは死にまつわる話はタブーとされていて、こちらからの郵便物も無地の封筒に入れて送ってほしいと言われていた。結局、亡くなった時、家族は散骨の希望を知らないままお墓に入れてしまった。会に亡くなったことが伝わったのはしばらく後で家族に希望を伝えたけれど、お墓から掘り出す費用のことで決着がつかず、未だに散骨して差し上げられないまま。迷惑かけまいと思っていらしただろうに伝わっていないと叶わない。
・今は法律が許さないけど、将来的には尊厳死を認めたり、年齢や病状など一定の基準を満たせば自殺ほう助もOKとかにしたら良いと思う。
・本当は自分の葬式なんて面倒なことしなくていいと思ってるけど、きっと家族があとでなんでやらなかったと言われて辛いだろうから、やってもらうのも仕方ない。
・FBみたいにエンディングノートを書き綴るSNSがあったらいい。家族だけ読めるページ、特定の友人だけ読めるページ、会社の同僚だけ読めるページなど公開範囲や時期を決められるとか。

何が迷惑かって、人によって・その相手によって、違いますよね。その違いを話し合っておかないと意味なく遠慮したり、大丈夫だと思って迷惑かけたりしそうですね。



「平穏死を迎えたい。最後は家族と過ごして手を握ってもらいながら死にたい。」という議題に進みます。
※平穏死とは延命治療などをせずに、食べられなくなったら自然な衰弱に任せて枯れるように死んでいくこと。

・自宅で看取ることを進めている医者をリストにした本がある。
・医者は延命するのが職業的責任という考え方が根強い。持病の薬を飲み続けなきゃ生きられない。10代の頃、誰かに生かされているのがイヤになって薬を飲まなかった時期がある。明らかに病状が悪化していったが、手紙に自分の考えをしたためて先生に渡した。「こんな考えを持つ子供がいるんだ…」と驚愕していたようだったが、「飲む気になるまで待つ」と言ってくれて、しばらくして、本当に飲む気になったので今も生きている。医者との関係構築が大事。
・動けなくなったら施設に入れて欲しい。
・家族がそばにいて、手を握られるのなんて照れ臭い。野生の猫のように一人でひっそり死にたい。
・殺されるのも悪くない。一瞬で死ねるなら。
・姥捨て山みたいなとこに行くのも悪くない。

今後は今までのように多くの人が病院で死ぬわけにはいかなくなるらしいです。病院のベッド数の限界がある。希望する・しないに関わらず、自宅で看取ることも十分にあり得ると考えて話し合っておかないといけませんね。


最後は「一番生き生きとしていたのはいつですか?」という質問。

・病気になる前は怖いものなしですごく元気だった。興味にストレートに向かっていった。
・学生時代、映画を撮っていて、ラブシーンを撮影した時は楽しかった。
・中学前半までいじめにあったいたのだけど、後半はタガが外れたようにおもいっきり楽しんだ。
・小さいときは欲望に忠実でご近所を隙間から覗いて、内容を家族にべらべらしゃべったりしていて楽しかった。
・小さい頃はやりたい放題だった。大きくなってくると出る釘は打たれたり、誰かに迷惑をかけるのが心配になったりで、輝きが失せていったような気がする。
・まだ生き生きしていると実感していたことは無い。これからかな?

生き生きしてる時って、世間体とか人の迷惑とか考えてないみたいです。迷惑って自分と相手の感覚は違うようですし、あまり深く考えすぎない方が生き生き出来るのかな?まあもう大人なので倫理的におかしなことはやめましょうね(笑)

今回もおもしろいお話が聞けました。特に年齢層がバラバラだったことが話に深みを持たせてくれました。子供がいる人、居ない人、持病がある人、健康な人、色々な背景の人たちが集まって死について・生について語り合うのは本当に意義あることだと思います。違う意見があった方が会は面白くなると思いました。

お越しいただきありがとうございました。勉強になりました。


死生観飲み会4月

終了後の飲み会はなぜか女子だけになりましたので、ワインを飲みながら恋の話に花を咲かせましたとさ。

※この会は季節に一回程度開催予定ですが、公募はしておりません。宗教の勧誘etc.会の趣旨に合わない方が入り込まないよう、主催者の知り合い又は過去の参加者の知り合いのみにお声をおかけしております。

4月22日に開催した死生観をシェアする会の感想

2018年4月22日に開催した死生観をシェアする会にご参加くださった方々に感想を書いていただきました。
あっというまの4時間(+飲み会)でしたね。

??さん 50才
いろいろな人と話してみたくて参加しました。コラージュでは心を惹かれる写真等はすぐに見つかるのだけど、作成しようとするとまとまりませんでした。トークセッションは毎回違う感じで面白い。色んな生き方があるなぁと思います。

Fukuチャンさん 76才
死と生きることを話し合ってみたかったので参加しました。コラージュ作成は面白かった。他の人の作品の説明に興味が持てた。トークセッションでは人それぞれの考えの違いが楽しかった。ありがとうございました。

みいちゃん 5?才
年齢的に死ぬことを感が始めたので準備として参加してみました。コラージュ作成のキーワードは:“よみがえり“ 楽しかった。トークセッションのキーワードは:“いきいき“ 楽しかった。死ぬことを考えることを通じて生きることを強烈に考えた。まず身近な家族の笑顔のために体にいい美味しいものを作ろう。

??さん 43才
人の生死の考え方を知りたかったので参加しました。コラージュ作成は楽しかった。トークセッションでは他の人の話が聞けてよかった。まだまだ話を聞いていたかったけど、時間がなくて残念でした。

??さん 73才
色んな人の意見を聴きたくて参加しました。コラージュは久しぶりにしたが、まずまず楽しかった。トークセッションでは人の意見を聴き、自分の意見を言って、改めて自分の考えていることを再確認出来た。家族に自分の死について話をすることが哀切でも重いなぁー。

??さん 3?才
やすよさんに声をかけてもらったので参加しました。皆さんのコラージュを見て、自分のは「やだ!こういうのコラージュって言わない!」と反省したところ、思いの外、誉めてもらってしまってびっくりしています。自分的には自分の頭のイメージが具現化出来たので、出来はさておいてよくやったのでは、と思います。トークセッションもおもしろかったです。私自身よりも上の年代の方たちが見ている先の姿が知れたので、あーこう言うことがあるんだなと思えたし、母親もこう考えているのかも知れないとおもったので、良い意見が聞けました。年代がバラバラなのはとても良いと思います。

ゲシュタルト療法(ゲシュタルトセラピー)について

2018.01.25 08:57|セラピー関連
ゲシュタルト


TVで、とある漫画家の方の再現ドラマとして、
ゲシュタルト療法(ゲシュタルトセラピー)に触れる内容の放送があった影響で
お問い合わせ・お申込みをたくさんいただいております。

うちの場合には、セラピールームのお隣がバレエスタジオですので、
スタジオの空き時間、広い場所を使ってゲシュタルトセラピーを行っています。
なので、大声を出しても、激しく動き回っても大丈夫です。

ゲシュタルトを学び始めて6年目になっても、一言での説明は難しいのですが、
一つの問題に対してでも色々なスタイルのアプローチがあり、
座って話しているだけの時もあれば、
スタジオ中を歩き回る時もあれば、
座布団やクッションを激しく投げている時もあります。

クライアントさんの”今ここ”の感覚に寄り添い、
セラピストの”今ここ”の感覚にも気づきながら、
その場その場で沸き上がってくる違うスタイルで行うのです。

性格・いつもの傾向を分析するのではなく
”今ここ”の心・体の感覚に湧き上がってくることに焦点をあてます。

グループセッションと個人セッションでは、味わいが違います。
現時点では個人セッションしかお受けしていませんが、
何人かでお申込みいただければ、グループでのセッションも可能です。

日本ではゲシュタルトセラピーはマイナーな存在で、
色々なセラピーを試した方が最後に行きつくところ、
というイメージを私は持っていました。

それはその方法論が最終手段という意味ではなくて、
情報が少なくて、よっぽど探し回った人でないと見つけられなかった、というシンプルな意味です。

どのようなセラピー・カウンセリングでも
一回だけで、「よし!スッキリ!」となることは万に一つの割合です。
今のご自分にはどんなセラピーが合っているのか、
色々なセラピーを何度も受けて、ご自身の変化を観察していただきたいです。

その選択肢の一つとして、ゲシュタルトセラピーがあることを
皆さんに知っていただくきっかけをいただいたことに感謝しております。

テーマ:心と身体
ジャンル:心と身体

プロフィール

 yoyo

Author: yoyo
元オーガニック系シェフ・現ヒプノセラピスト。食べ歩き、レシピ、山菜キノコ採取、お散歩、セラピー関連など、私の日々を綴ります。私がどんな人間か知っていただければ嬉しいです。

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