死生観をシェアする会・3回目を開催しました。
2017.08.21 15:29|死生観をシェアする会のレポート|
死生観をシェアする会を開催しました。
(クローズドで知り合いに声をかける形で開催しています。)
死ぬことは誰にでもやってくるし、生きることと背中合わせ。
しかし、それについて語ることはタブーとされたり、悲しいこととされたり、宗教とされたり。
ざっくばらんに私はこう思っている、あなたはどう?と
偶然集まったその場限りのメンバー同士でシェアできる場を作りたいと思って始めました。
共同主催のなおみさんはテーマの関連するNPO法人で活動なさっていたこともあり、
葬儀や埋葬などについても詳しい方です。
今回の参加者は男性3人女性1人、主催者2人も女性なので3対3でスタートです。
お申込みいただいていた他の女性は体調が悪かったりでキャンセルに。
この手の会で男性が多くなることは珍しいですね。

まずは今日呼んでほしいお名前と年令だけの自己紹介をして、
コラージュ作成をします。
雑誌やチラシなどの写真を切り抜いて大きな画用紙に貼っていきます。
テーマはもちろん「死生観」
みんなでお話をする前に自身の死生観を深く感じてもらう狙いがあります。
技術は必要なくて、直観でペタペタ貼っていきます。
みんなの感覚・芸術性が個性的に表れてくるのが不思議。
作業自身も童心にかえったようで楽しいものですよ。
そして、トークセッション、
まずは「私はまだ近親者の死を体験していません。死を身近に感じた経験を聞かせて」というお題から。
・10数年前奥さんをガンで亡くした。
付き添いのために病院に通う中で他の同じような境遇の方々と出会い、先に亡くなっていった。
だんだんに直観というか、亡くなる直前のなにかが感じ取れるようになって、そこに祝福のような感覚も覚えた。
・母は出張中に交通事故で他界。実感できなかった。
父とは折り合いが悪かったが、倒れてから話をすることが出来て悔いはない。
でも、まだ聞きたいことがあった。それはもう永遠に明らかにはならない。
・職場の部下の死、ビジネスパートナーの死、両親の死よりもショックが大きかった。
両親はいずれ先に死ぬものという漠然とした覚悟があったからかもしれない。
・数か月前奥さんが他界。死に目には合えなかった。
小学生の娘は理解はしているけれど、母の死についてはあまり語ろうとしない。
娘のケアをしっかりしていこうと思う。
「死ぬことは怖いのか、死んだらどうなるのか」というお題。
・小さい頃に臨死体験らしきものをした。
寝ている自分の周りにみんなが座っているのを天井から感情無くぼーっと眺めていた。
それ以上の体験があったのかもしれないが、覚えていない。
今は死ぬのが怖いと思っている。
・死んだらどうなるかはハッキリ分からないことが大事なのでは。
わざわざ分からない状態で生まれてくるのだから、分からないことに意義があるのだと思う。
・死が自分にどのような変化をもたらすのかが楽しみ。
肉体は無くなるけど、経験はどこかに蓄積されたり生かされたりするのじゃないかと思う。
・死ぬのが怖いと思わなければ人は簡単に死を選んでしまうかもしれない。
神様の策略で怖いと思っているのでは。
・恐竜や動物と同じように生き延びようとする本能があるから死ぬのが怖いのでは。
・死んだら元居た場所に戻ってそこの仲間と地上での経験をシェアするのだと思う。
「生まれ変わるのか、何のために生まれてくるのか」というお題。
・生まれ変わると思った方が楽しく生きられる。
・やり残しが少ない人が赤ちゃんの時に死んでしまったりするらしい。
・仲間が必要な経験を積むのを手伝うために生まれてくるパターンもあるらしい。
・向こうの世界では、言葉が無くても通じるし、思うように移動できて、食べ物も必要ない、とするならば
色々と制限のあるこの世界に生まれてくるのは
わざわざ「制限のある世界」というアミューズメントパークに来るように特殊な体験なのでは。
・近年、スマフォで外国人同士でも交流出来たり、移動しなくても体験できることも多くなったり、ダイエットして食べない人も多い。
障害や老化をわざわざ体験する施設もある。
制限のある世界の中で更に制限を求めるのは末期的なのでは。
・老化は通常誰にでもやってくるから強い制限を体験できる機会となるかも。
更に、「長生きはするべきなのか」
「家族の遺体に死に化粧を施すなどで遺体に触れられるか」
「あとどれくらい生きたいか」
などお話は尽きませんでした。

みんなで近所の居酒屋に移動して、更に深い話をしてみたり、軽い話もしてみたり。
小さいお店なので貸し切りにしてくださって、ゆっくり美味しくいただけました。
次回開催なるか!毎回ですがまだ未定です。
(クローズドで知り合いに声をかける形で開催しています。)
死ぬことは誰にでもやってくるし、生きることと背中合わせ。
しかし、それについて語ることはタブーとされたり、悲しいこととされたり、宗教とされたり。
ざっくばらんに私はこう思っている、あなたはどう?と
偶然集まったその場限りのメンバー同士でシェアできる場を作りたいと思って始めました。
共同主催のなおみさんはテーマの関連するNPO法人で活動なさっていたこともあり、
葬儀や埋葬などについても詳しい方です。
今回の参加者は男性3人女性1人、主催者2人も女性なので3対3でスタートです。
お申込みいただいていた他の女性は体調が悪かったりでキャンセルに。
この手の会で男性が多くなることは珍しいですね。

まずは今日呼んでほしいお名前と年令だけの自己紹介をして、
コラージュ作成をします。
雑誌やチラシなどの写真を切り抜いて大きな画用紙に貼っていきます。
テーマはもちろん「死生観」
みんなでお話をする前に自身の死生観を深く感じてもらう狙いがあります。
技術は必要なくて、直観でペタペタ貼っていきます。
みんなの感覚・芸術性が個性的に表れてくるのが不思議。
作業自身も童心にかえったようで楽しいものですよ。
そして、トークセッション、
まずは「私はまだ近親者の死を体験していません。死を身近に感じた経験を聞かせて」というお題から。
・10数年前奥さんをガンで亡くした。
付き添いのために病院に通う中で他の同じような境遇の方々と出会い、先に亡くなっていった。
だんだんに直観というか、亡くなる直前のなにかが感じ取れるようになって、そこに祝福のような感覚も覚えた。
・母は出張中に交通事故で他界。実感できなかった。
父とは折り合いが悪かったが、倒れてから話をすることが出来て悔いはない。
でも、まだ聞きたいことがあった。それはもう永遠に明らかにはならない。
・職場の部下の死、ビジネスパートナーの死、両親の死よりもショックが大きかった。
両親はいずれ先に死ぬものという漠然とした覚悟があったからかもしれない。
・数か月前奥さんが他界。死に目には合えなかった。
小学生の娘は理解はしているけれど、母の死についてはあまり語ろうとしない。
娘のケアをしっかりしていこうと思う。
「死ぬことは怖いのか、死んだらどうなるのか」というお題。
・小さい頃に臨死体験らしきものをした。
寝ている自分の周りにみんなが座っているのを天井から感情無くぼーっと眺めていた。
それ以上の体験があったのかもしれないが、覚えていない。
今は死ぬのが怖いと思っている。
・死んだらどうなるかはハッキリ分からないことが大事なのでは。
わざわざ分からない状態で生まれてくるのだから、分からないことに意義があるのだと思う。
・死が自分にどのような変化をもたらすのかが楽しみ。
肉体は無くなるけど、経験はどこかに蓄積されたり生かされたりするのじゃないかと思う。
・死ぬのが怖いと思わなければ人は簡単に死を選んでしまうかもしれない。
神様の策略で怖いと思っているのでは。
・恐竜や動物と同じように生き延びようとする本能があるから死ぬのが怖いのでは。
・死んだら元居た場所に戻ってそこの仲間と地上での経験をシェアするのだと思う。
「生まれ変わるのか、何のために生まれてくるのか」というお題。
・生まれ変わると思った方が楽しく生きられる。
・やり残しが少ない人が赤ちゃんの時に死んでしまったりするらしい。
・仲間が必要な経験を積むのを手伝うために生まれてくるパターンもあるらしい。
・向こうの世界では、言葉が無くても通じるし、思うように移動できて、食べ物も必要ない、とするならば
色々と制限のあるこの世界に生まれてくるのは
わざわざ「制限のある世界」というアミューズメントパークに来るように特殊な体験なのでは。
・近年、スマフォで外国人同士でも交流出来たり、移動しなくても体験できることも多くなったり、ダイエットして食べない人も多い。
障害や老化をわざわざ体験する施設もある。
制限のある世界の中で更に制限を求めるのは末期的なのでは。
・老化は通常誰にでもやってくるから強い制限を体験できる機会となるかも。
更に、「長生きはするべきなのか」
「家族の遺体に死に化粧を施すなどで遺体に触れられるか」
「あとどれくらい生きたいか」
などお話は尽きませんでした。

みんなで近所の居酒屋に移動して、更に深い話をしてみたり、軽い話もしてみたり。
小さいお店なので貸し切りにしてくださって、ゆっくり美味しくいただけました。
次回開催なるか!毎回ですがまだ未定です。