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4月22日に開催した死生観をシェアする会のレポートです。

4月コラージュ
久しぶりに死生観をシェアする会を開催しました。
なんと今回は満席でお断りさせていただいた方もいたくらいでした。

まずみんなが揃ったら、今日呼んで欲しいお名前と大まかな年令だけの自己紹介をします。今回は主催者も含めて70代2人、60代1人、50代2人、30代1人40代3人と男性3名、女性6名とみんなバラバラです。
ステータス、体調、家族の状況、宗教観など、相手のことを知ってしまうと自分の考えを伝えられなくなってしまいそうな気がして、語ってしまう前にまず自分の死生観と向き合うためにコラージュを作成します。

一つ今までに見なかったような圧倒的に芸術的な作品が出来あがりました。あとでお話を伺うと子供の頃から持病があり、常に死と向き合ってきたとのこと。苦悩と芸術は表裏一体なのだと強く感じました。

kora-jyu.jpg

芸術的っていうのは私個人の中にある「芸術的カテゴリー」にあてはまっているという意味ですよ。コラージュの目的は芸術作品を作ることじゃなくて、自分の体や心にある感覚を目に見えるように貼ってみるのが目的ですから。芸術目指さなくてOKです。


4gatu.jpg

そして、手作りおやつを食べながら、トークセッションへ突入。

「生きるのは大変ですか?」という議題から

・妊娠した時、走っている車に飛び込みたいくらい思い詰めていた。産まれてしまったら、育てないわけにはいかない。生きる大変さを我慢し続けるか、死ぬかしか選択肢が無かった。なぜか途中で「我慢」or「死ぬ」の他に「戦う」という選択肢が降って来た。
・本当に大変な時期は日々をこなすのに精一杯で大変さを感じる暇がない。
・70代からの長い時間は大変。目的を見つけるのが大変。「今日・用(きょうよう)」を持つのが大変になる。
・母親が今の自分の年齢の頃、さぞかし大変だっただろうなぁと思う。
・今までは家族のために頑張るのが大変だったけど、今は自分のために何が出来るかをみつけるのが大変。
・若い頃はもっと大変だった。今は幸せと言えるレベルにはなってる。

大変真っ只中なのはもちろん大変だし、大変なことが無くなってからも大変なんですね。


そして、「健康に生きてる人はいつ・どういうきっかけで死について考えるようになるの?」

・丹波哲郎の映画「大霊界」を見て自殺するのは怖いことだと思った。
・遺品整理の仕事をしている人の本を読んでから、自分が死ぬであろうポイントを設定してそこから逆算して今何をしておくべきかを考えるようになった。
・第二次成長期くらいから生きているのがイヤだった。自殺したいのとは違うのに、単純に話しちゃうと分かってもらえなくて変な感じになる。
・祖父を自宅で看取った時に手を握っていた。生気が抜けていくのが手を通して感じられた。
・子供の時、自分はそんなに良いものではないから死んだら地獄に落ちるを信じていて怖かった。

核家族化が進んでいる上に病院で死を迎える人が多い昨今、お爺ちゃんお婆ちゃんなど先に逝く人の死を目の当たりにする機会は少ないですよね。色んな情報源や自分の感覚など死に興味を持つきっかけは様々ですね。


次は「なるべく迷惑をかけずに死にたいけど、どうしたら?」

・迷惑ってかける方側とかけられる側がいるよね。
・父が倒れてから私の姉妹が三年面倒をみて看取った。迷惑だとは思っていなかったと思う。自分がやらないと気が済まないようだった。
・尊厳死協会に入会して、カードをいつも財布に入れている。エンディングノートも毎年書き直している。
・葬送方法を自由に選択することに関わる仕事をしていた時、死後散骨を希望されていて費用も前納してくださっていた方がいた。ホームに入っていたのだけど、そこでは死にまつわる話はタブーとされていて、こちらからの郵便物も無地の封筒に入れて送ってほしいと言われていた。結局、亡くなった時、家族は散骨の希望を知らないままお墓に入れてしまった。会に亡くなったことが伝わったのはしばらく後で家族に希望を伝えたけれど、お墓から掘り出す費用のことで決着がつかず、未だに散骨して差し上げられないまま。迷惑かけまいと思っていらしただろうに伝わっていないと叶わない。
・今は法律が許さないけど、将来的には尊厳死を認めたり、年齢や病状など一定の基準を満たせば自殺ほう助もOKとかにしたら良いと思う。
・本当は自分の葬式なんて面倒なことしなくていいと思ってるけど、きっと家族があとでなんでやらなかったと言われて辛いだろうから、やってもらうのも仕方ない。
・FBみたいにエンディングノートを書き綴るSNSがあったらいい。家族だけ読めるページ、特定の友人だけ読めるページ、会社の同僚だけ読めるページなど公開範囲や時期を決められるとか。

何が迷惑かって、人によって・その相手によって、違いますよね。その違いを話し合っておかないと意味なく遠慮したり、大丈夫だと思って迷惑かけたりしそうですね。



「平穏死を迎えたい。最後は家族と過ごして手を握ってもらいながら死にたい。」という議題に進みます。
※平穏死とは延命治療などをせずに、食べられなくなったら自然な衰弱に任せて枯れるように死んでいくこと。

・自宅で看取ることを進めている医者をリストにした本がある。
・医者は延命するのが職業的責任という考え方が根強い。持病の薬を飲み続けなきゃ生きられない。10代の頃、誰かに生かされているのがイヤになって薬を飲まなかった時期がある。明らかに病状が悪化していったが、手紙に自分の考えをしたためて先生に渡した。「こんな考えを持つ子供がいるんだ…」と驚愕していたようだったが、「飲む気になるまで待つ」と言ってくれて、しばらくして、本当に飲む気になったので今も生きている。医者との関係構築が大事。
・動けなくなったら施設に入れて欲しい。
・家族がそばにいて、手を握られるのなんて照れ臭い。野生の猫のように一人でひっそり死にたい。
・殺されるのも悪くない。一瞬で死ねるなら。
・姥捨て山みたいなとこに行くのも悪くない。

今後は今までのように多くの人が病院で死ぬわけにはいかなくなるらしいです。病院のベッド数の限界がある。希望する・しないに関わらず、自宅で看取ることも十分にあり得ると考えて話し合っておかないといけませんね。


最後は「一番生き生きとしていたのはいつですか?」という質問。

・病気になる前は怖いものなしですごく元気だった。興味にストレートに向かっていった。
・学生時代、映画を撮っていて、ラブシーンを撮影した時は楽しかった。
・中学前半までいじめにあったいたのだけど、後半はタガが外れたようにおもいっきり楽しんだ。
・小さいときは欲望に忠実でご近所を隙間から覗いて、内容を家族にべらべらしゃべったりしていて楽しかった。
・小さい頃はやりたい放題だった。大きくなってくると出る釘は打たれたり、誰かに迷惑をかけるのが心配になったりで、輝きが失せていったような気がする。
・まだ生き生きしていると実感していたことは無い。これからかな?

生き生きしてる時って、世間体とか人の迷惑とか考えてないみたいです。迷惑って自分と相手の感覚は違うようですし、あまり深く考えすぎない方が生き生き出来るのかな?まあもう大人なので倫理的におかしなことはやめましょうね(笑)

今回もおもしろいお話が聞けました。特に年齢層がバラバラだったことが話に深みを持たせてくれました。子供がいる人、居ない人、持病がある人、健康な人、色々な背景の人たちが集まって死について・生について語り合うのは本当に意義あることだと思います。違う意見があった方が会は面白くなると思いました。

お越しいただきありがとうございました。勉強になりました。


死生観飲み会4月

終了後の飲み会はなぜか女子だけになりましたので、ワインを飲みながら恋の話に花を咲かせましたとさ。

※この会は季節に一回程度開催予定ですが、公募はしておりません。宗教の勧誘etc.会の趣旨に合わない方が入り込まないよう、主催者の知り合い又は過去の参加者の知り合いのみにお声をおかけしております。

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11月の死生観をシェアする会のレポート

おやつ11月
昨日開催した「死生観をシェアする会」の様子をお伝えします。
お菓子はアップルパイ、甘栗ムース、レモンココナッツクッキー、カカオニブピーナッツクッキー、全て植物性で手作りしています。

コラージュ作成11月
前半のコラージュ作成ではみんなが時間をめいっぱい使って没頭しておりました。

コラージュ11月
何度もやっていると何となく自分なりのルールがあることに気づいてきます。
どうしても私は空白の隙間を残すのが苦手。
他の参加者でもそういう人はいます。
毎回違う雰囲気の作品を仕上げる人もいます。
死だけをイメージというよりは逆に生きること、存在することという雰囲気になりました。



後半はトークセッション。

最初は私の質問から。
「この会にお誘いすると、死生観を語るのは私にはまだ早いと言われることがある。
理論的には明日死ぬ可能性もあると分かっているはずですが、まだ早いってなんだろう?」

・その答え自身がその人の死生観なのでは?「元気な内に死生観を語るものではない」というその答えがその人の死生観。

もうその見解で納得でした。
その人の環境の中ではそのようになんとなく決まっているのかも。
本当は、なぜ「語るものではない」と感じているのかを語って欲しいのだけど(笑)

次の話題は「昨日と今日の自分を見比べても変わらないのに長い目で見ると老いていくのはなぜ?」

・99才で亡くなったお婆ちゃん。最後は自宅で8日間過ごして看取った。点滴も外し、水も飲めない状態だったのになぜか入院中よりバイタルが良くなって顔色も良かった。
・老化に抗うと徳を積めない気がする。
・「人間は老化していくものだ」概念があるけれど、果たしてそれは本当か。思い込みではないのか。
・見た目のアンチエイジングとかは理解しにくい。健康であろうとすることは理解できる。
・奇門遁甲では、人間の体は120才まで生きられる設計になっているらしい。なかなか全うできない人が多い。
・実験的に見た目が若い人しかいない街を作ったら?50才・70才と名乗る人もいるけれど中身は30才くらいの人しかいない中で育ったら、人間は大人に成長するだけで老化はしないと思い込む子供が育つかも。


なんとなく、人間の思い込みがどんどん事実になっていくという話に進んでいきます。
「死は悲しいものということなどなど、風潮が変化すると感覚も変化する?」

・実際に死はコチラの世界を卒業するおめでたいことという文化もある。
・親しい人と離れる寂しさは別にあるとおもうけれど。医者に余命〇カ月とか言われて、悲しんで泣いて、というパターンは少数になって、「おめでとう!もうすぐだね!」みたいになる可能性も。
・お腹が痛いとして、ガンと知って痛いのと、ピロリ菌だと思って痛いのとでは痛み方が違う気がする。思い込みで変わるかも。
・死は覚悟なのか、あきらめなのか。
・家族葬というものが登場し始めた頃、業界ではバッシングがあったらしい。「稼げる葬式のスタイルを崩すな!」と。今では当たり前になってきた。
・「健康になりますように」と祈るのは現在健康ではないと自分に言い聞かせることになるからダメだという一派がいる。
・色んな健康法を唱える人がいて、それぞれにきっと本当なんだと思う。なのに他の説を攻撃してダメだという。
・死が悲しいのか、それに至る前の病気などの苦しみがそう思わせるのか。みんながピンピンコロリだったら悲しいという風潮は無くなるのか。

まとめるのが難しいのだけど、集合意識は人数が集まってこそ力を発揮する。
個々に考え方が違うことが当たり前になっていくと一般的な風潮というのは無くなってくるのでは?
話しながら浮かんでくること、まだ言葉にしてみたことない感覚、おぼろげながら言葉にしてみる作業をみんながしている感じでした。


こんな深ーい話を静かに淡々としていたらもう終了時間。
時間が過ぎることには抗えませぬ。

終了後の飲み会では次回の構想で盛り上がりました。
棺桶を作って入ってみる、自分は死んだとして人生を振り返ってみるワークショップいいね!と。

出待ちの猫
飲み会のお店の外でおこぼれを待つ猫がかわいい。

この会について、怪しい怖い会だと思っている人もいるのかと思います。
棺桶入ります、とか言ったらますます怪しく思う人もいるかも(笑)
日本でも無くはないのですが、海外ではそんなワークショップも流行っているようですよ。

(この会はクローズドで主催者の知り合い、知り合いの紹介のみで参加募集しております。宗教の勧誘etc.意向にそぐわない方の潜入を防ぐためです。)

死生観をシェアする会・3回目を開催しました。

死生観をシェアする会を開催しました。
(クローズドで知り合いに声をかける形で開催しています。)

死ぬことは誰にでもやってくるし、生きることと背中合わせ。
しかし、それについて語ることはタブーとされたり、悲しいこととされたり、宗教とされたり。
ざっくばらんに私はこう思っている、あなたはどう?と
偶然集まったその場限りのメンバー同士でシェアできる場を作りたいと思って始めました。

共同主催のなおみさんはテーマの関連するNPO法人で活動なさっていたこともあり、
葬儀や埋葬などについても詳しい方です。

今回の参加者は男性3人女性1人、主催者2人も女性なので3対3でスタートです。
お申込みいただいていた他の女性は体調が悪かったりでキャンセルに。
この手の会で男性が多くなることは珍しいですね。

8月20日コラージュ

まずは今日呼んでほしいお名前と年令だけの自己紹介をして、
コラージュ作成をします。

雑誌やチラシなどの写真を切り抜いて大きな画用紙に貼っていきます。
テーマはもちろん「死生観」
みんなでお話をする前に自身の死生観を深く感じてもらう狙いがあります。
技術は必要なくて、直観でペタペタ貼っていきます。
みんなの感覚・芸術性が個性的に表れてくるのが不思議。
作業自身も童心にかえったようで楽しいものですよ。




そして、トークセッション、
まずは「私はまだ近親者の死を体験していません。死を身近に感じた経験を聞かせて」というお題から。

・10数年前奥さんをガンで亡くした。
付き添いのために病院に通う中で他の同じような境遇の方々と出会い、先に亡くなっていった。
だんだんに直観というか、亡くなる直前のなにかが感じ取れるようになって、そこに祝福のような感覚も覚えた。

・母は出張中に交通事故で他界。実感できなかった。
父とは折り合いが悪かったが、倒れてから話をすることが出来て悔いはない。
でも、まだ聞きたいことがあった。それはもう永遠に明らかにはならない。

・職場の部下の死、ビジネスパートナーの死、両親の死よりもショックが大きかった。
両親はいずれ先に死ぬものという漠然とした覚悟があったからかもしれない。

・数か月前奥さんが他界。死に目には合えなかった。
小学生の娘は理解はしているけれど、母の死についてはあまり語ろうとしない。
娘のケアをしっかりしていこうと思う。



「死ぬことは怖いのか、死んだらどうなるのか」というお題。

・小さい頃に臨死体験らしきものをした。
寝ている自分の周りにみんなが座っているのを天井から感情無くぼーっと眺めていた。
それ以上の体験があったのかもしれないが、覚えていない。
今は死ぬのが怖いと思っている。

・死んだらどうなるかはハッキリ分からないことが大事なのでは。
わざわざ分からない状態で生まれてくるのだから、分からないことに意義があるのだと思う。

・死が自分にどのような変化をもたらすのかが楽しみ。
肉体は無くなるけど、経験はどこかに蓄積されたり生かされたりするのじゃないかと思う。

・死ぬのが怖いと思わなければ人は簡単に死を選んでしまうかもしれない。
神様の策略で怖いと思っているのでは。

・恐竜や動物と同じように生き延びようとする本能があるから死ぬのが怖いのでは。

・死んだら元居た場所に戻ってそこの仲間と地上での経験をシェアするのだと思う。



「生まれ変わるのか、何のために生まれてくるのか」というお題。

・生まれ変わると思った方が楽しく生きられる。

・やり残しが少ない人が赤ちゃんの時に死んでしまったりするらしい。

・仲間が必要な経験を積むのを手伝うために生まれてくるパターンもあるらしい。

・向こうの世界では、言葉が無くても通じるし、思うように移動できて、食べ物も必要ない、とするならば
色々と制限のあるこの世界に生まれてくるのは
わざわざ「制限のある世界」というアミューズメントパークに来るように特殊な体験なのでは。

・近年、スマフォで外国人同士でも交流出来たり、移動しなくても体験できることも多くなったり、ダイエットして食べない人も多い。
障害や老化をわざわざ体験する施設もある。
制限のある世界の中で更に制限を求めるのは末期的なのでは。

・老化は通常誰にでもやってくるから強い制限を体験できる機会となるかも。


更に、「長生きはするべきなのか」
「家族の遺体に死に化粧を施すなどで遺体に触れられるか」
「あとどれくらい生きたいか」
などお話は尽きませんでした。


8月20日お刺身

みんなで近所の居酒屋に移動して、更に深い話をしてみたり、軽い話もしてみたり。
小さいお店なので貸し切りにしてくださって、ゆっくり美味しくいただけました。


次回開催なるか!毎回ですがまだ未定です。

テーマ:生きること
ジャンル:心と身体

死生観をシェアする会・2回目を開催しました。

昨日開催した死生観をシェアする会のレポートです。

お菓子の写真は撮り忘れましたが、手作りお菓子を囲んで
その日に集まったその時だけのメンバーで
死にまつわることや生きることをお話する会です。

4月コラージュ作成

まずは死生観をテーマにしたコラージュを作成。
個性たっぷりに楽しく作ることが出来ました。
意外にも暗い作品は無いのですよ。


死生観コラージュ
みんなの許可をいただいていないので今回の写真は私のだけです。


そして、トークセッションスタートです。
事前にいただいた皆さんからの質問を議題にして意見を出し合います。


まずは自分の最後について。
「誰に看取られたいか、最後に何を食べたいか。」

二つ別の質問のようですが、看取ってくれる人が食べさせてくれる、用意してくれる
という想定もあり、繋がっているものでした。

・いつ死んでも良いようにいつも納得できるものを食べている。
・母とか、誰かが作ってくれたものを食べたい。死ぬ間際なのにこんなの消化できないよーとかツッコんだりしながら。
・自分でご飯とお味噌汁を作る。誰かに作って欲しい気もするけど、自分で作る気がしてる。
・なぜか死刑執行の朝の食事というイメージなのだけど、熱々のトーストにバターを塗ったものがいい。
・1人で死ぬのも嫌じゃない。誰かと言われれば息子に看取られたい。
・固形物は無理そう。液体がいい。少量のさっぱりしたお酒とか。
・甘露(水)を一滴。奥さんか子供に飲ませてもらえたら最高に甘くておいしく感じそう。

予定通りにはいかないかもしれないけれど、
自分の死ぬ時の準備として、周りに要望を伝えておきたいですね。


「死後の世界ってどんなイメージ?」

・死んだら上に行って一段落。
・幼稚園の頃から宇宙は無限とか延々と生まれ変わるとか考えるとすごく怖い。
・地獄に行きたくないから良い人間でありたい。
・同じ芸術を目指して苦労する人生に3回生まれ変わると天才として生まれることが出来るらしい。
・死の境目はハッキリしないもので、その存在が誰かの中に引っ越しするイメージ。体が無くなっても誰かの記憶の中にいる。
・死後の世界は死んでみないと分からない。
・死ぬのは怖くないけど、病気は怖い。

子供の頃に、死は悲しい・怖い・苦しいものというようなイメージを刷り込まれている場合が多いようです。
人生を全うして安らかに亡くなった方が周りにいたならイメージは違っていたかもしれません。
そのような方の死に至る過程・死に顔・周りの反応など、子供の頃に経験しておくと良さそうです。


「生きるとはどういうこと?何を大切にする?どんな意味がある?」

・どんな動物でも微生物でも子孫を残そうとするのはなぜだろう?
・すぐそこに何かが待ってる、その何かに出会うために生きてる。その何かに生かされてる。死者の記憶を伝えるために生かされてる。
・子孫を残すために子供を産んだつもりはない。自分の味方になって欲しくて生んだ。
・閉経した時に泣きたくないと思ったから子供を産んだ。
・同世代でもう亡くなった友人は、明日やりたいことがあったままに逝ってしまった。やり残さないように日々やりたいことをやる。
・「人間は所詮くそ袋なんですよ。」という言葉が心に残っている。何もしていなくてもくそ袋としては機能している。
・生きている内に何を遺せるか、子孫も然り、誰かの記憶に残ることも然り。
4月お料理

この話は深くて簡単にはまとめられませんが、気が付いたことがあります。
人間故に、子孫を残す以外の遺し方があるようです。
言葉や作品、文化、経験を伝えることなど。

全部書きたいのですが、そんなわけにもいきませんのでこの辺にしておきます。

看取りをする、とあるお医者様は「言い残し・食べ残し・やり残し」が無いか聞くそうです。
無念の○○残しはなるべく無いようにしたい。
そして、小さくとも遺せるなにかがある人生を歩みたいですね。


そして、終了後の飲み会ではなんだかお正月の親戚の集まりのようなめでたくおいしいお食事をいただきました。

この会は今のところ公募はしていません。
主催者の知り合いや過去の参加者の知り合いのみで開催する予定です。
あやこ&やすよのお知り合いの方でご興味おありの方、連絡お待ちしてます。

死生観をシェアする会 第一回目を開催しました。

死生観コラージュ作成

以前からなおみさんと共に温めてきた企画「死生観をシェアする会(仮)」を先日開催しました。

死はみんなに必ずやって来るもの、避けては通れないものであるにも関わらず
重たくなるからか、宗教絡みになるからか、タブーとされやすいトピックですね。
今回は9人で集まってお菓子を食べながら死について語り合う企画です。


前半、まずはお話をする前に「死生観」をテーマにコラージュを作成しました。
お互いの話に影響される前に、個々の死生観にどっぷりと浸かってもらうのが狙いです。


許可をもらっていないので皆さんのを公開は出来ませんが
個々に全く違うものが出来上がり、意外にもカラフルで楽しそうなものばかりでした。
説明を聞いてみるとさらに発見があり、とても興味深いものでした。


後半はトークセッション。
個々に質問をあげてみんなに聞いてみるスタイルです。



「死生観を考えるきっかけは?」

・若い頃死にたいと思ったことがある。どうして本当に死ななかったかと言えば、
何か普通の幸せのようなものを感じてみてからでもいいんじゃないかと思った。
・まだできることがあるはずだと思った。
・簡単には死ねなかった。思いきれなかった。
・親戚が変死・自死して、客観的に考えるようになった。
・生まれ変わりたいと思ったから。

など、ほぼみんな一度は死にたいと思ったことがあるようです。
本当に死のうとするかどうかは別として。


「孤独死についてどう思うか?」

・年老いて、家族が一緒に住もうと言っても一人で住みたい人もいる。
・静かに1人で死にたいと思う人がいることはそんなにおかしいことなのか。
・死んでからの後片付けをどうしてもらうか、今から準備しておくべき。
・一人で死ぬのが怖いから結婚したい。
・今は怖いと思っているけど、死ぬ瞬間になったらどうかな?違うかも。

孤独死はさみしい、かわいそう、って決まっているわけではないのに
メディアの影響などでなぜかそうなってしまっているのかもしれません。
複数の人が疑問に感じているようですね。


「生まれ変わりについて」

・ヒプノセラピーで前世やその死を疑似体験した。リアルに感じた。
・やり残したら、生まれ変わってまた修行。
・宗教によって違うけど、その宗教の内部の人間達はお金絡みでちょっとおかしい。
・飼っていたハムスターが死んで、埋めた場所からポピーが生えてきて咲いた時、生まれ変わったと思った。
・死んだら無になる予定。だからすべてやりつくして、自分で走馬灯やって、自分でお疲れ様って言って死ぬつもり。

生まれ変わるかどうか、生まれ変わるにしても
100%今の自分のエッセンスを持ち越して生まれ変わるのか、一部だけなのか、
死んでみないと分からないのが歯がゆいですね。


「何才で死にたいか?または死ぬ予定か?」

・70才くらい
・60~65才くらい
・63、4才
・55才くらい
・60~65才
・76才
・80才くらい
・70才前くらい
・60才くらい

平均65才くらいでしょうか。


他にも、
・今飼っている犬・猫がいつか死ぬことを考えると怖い。
自分の死よりペットの死は怖い。
これは不思議だけどなぜかそうなのです。

・理想の死に方は腹上死!

・死んだら久高島に散骨希望!←高温で焼かれると骨が固く残りなかなか分解されないらしいよ。
ちなみに法律的に勝手に散骨は出来ないそうですよ。

など色々な話が出ました。



私自身も複数の人とイコールな立場で死についての考えをシェアしたのは初めて。
みんなもそうだったはず。
とっても話してみたかった。聞いてみたかった。
そんな欲求が少し満たされてなんとなくおめでたい気分で居酒屋に移動したらお赤飯を出してくださいました(笑)


皆さまお越しいただきありがとうございました。
なおみさん、お疲れ様。一緒に進行して下さって安心でした。
プロフィール

 yoyo

Author: yoyo
元オーガニック系シェフ・現ヒプノセラピスト。食べ歩き、レシピ、山菜キノコ採取、お散歩、セラピー関連など、私の日々を綴ります。私がどんな人間か知っていただければ嬉しいです。

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