昨日、死生観をシェアする会を久しぶりに開催しました。
本来なら年に3~4回開催しているのですが2年間程自粛しておりました。今回は感染対策のために終始広いスタジオで換気しながら各自毛布をかぶりながらの進行としました。
30代~80代までのまさに老若男女にお集まりいただき、死について、生について意見交換をしました。

まずはコラージュ作成から。誰の意見も聞かない内に、自分だけの死や生のイメージを表現してみます。同じ条件で始めるのにみんな違っていて個性溢れる作品が出来上がります。そしてみんな夢中で楽しそうなんです。

後半は質問(議題)を各自提供してもらって意見や体験を出し合うという形式で進めます。
「死はポジティブか?ネガティブか?」
・死ぬ前、死ぬ直前、死んだ後…など段階によって違う。直前の痛み以外はポジティブ
・今まではポジティブだったけど近しい人が亡くなって、本当に完全にいなくなるんだってことを実感した
・死のイメージが湧かない。生の方に視点が向く。自殺だけはネガティブ
・痛みややり残したことへの心残りなどは苦しいと思うけど死んだ後の事はポジティブ
・自分の死についてはどちらでもなくフラット。親しい人の死についてはネガティブ
皆さんの中でポジティブもネガティブも入り混じっているのですね。
「魂は輪廻転生するか」
・明晰夢をよく見る。他の生での日常をみているような夢だったり、予知夢だったりする
・前世をみられるという人に見てもらったことがある。自分は生まれ変わらなくてもいい少し上の方にいたのだけど、まだ転生が必要な夫一緒に生まれ変わるためにあえて罪を犯してここに来た、と言われた
・ヒプノセラピーを何度も受けて前世を何度もみた
・前世はあると思っているし、魂の存在も信じている
・誰かにみてもらうとその人のフィルターを通してみることになるので自分でみる形の方が良いのでは?
・その人が持っているフィルターが青だった場合、相手の本来のオーラが黄色なら緑に見えるらしい
前世や輪廻転生については人によってはナンセンスであったり、ロマンであったり、現実のごとく感じていることであったり…違いがあることをそのままに話し合えるのは面白いですね。
「死ぬ時に誰と一緒にいたいですか?」
・祖父が亡くなった時は家族が周りにいて、自分は死ぬ瞬間の祖父の手を握っていた
・たぶん一人で死ぬ
・子供もいないし、ひっそりと一人で死にたい派
・理想的には大切な人をまず看取ってから死にたい
・死ぬ時に一緒にいられるのは基本的には家族だけだけど、他の人にいて欲しかったらどうしたらいいの?死ぬ前に先に亡くなった会いたい人に連絡して行き先を聞いておくとか出来ればいいな
・叔父が亡くなった時は、コロナ禍なので誰も付き添えなかった
・老人ホーム等では以前は看取りが出来ずに病院に移されてから死ぬ段取りだったけど最近はホームなどの施設でも看取りガ出来るようになったし、在宅訪問医が看取りをしてくれるケースもある
・孫に手を振って「バイバイ」と言って死にたい
死に方って実際にどうなるか分からないけれど、希望だけは親しい人に伝えておきたいと思います。
「親がガンで余命宣告を受けているがコロナ禍になって会えていないので実感がない状態。親が死ぬ前や後にやるべきことって?また親や兄弟が死んで変わったことはなに?」
・親との関係性によるけれど、私の場合は父が死んだ時花火が上がったようにおめでたい気持ちだった
・義理祖母が亡くなる前、ずっと危ない状態だったのに娘が顔を見に来た日だけ力を取り戻して口からご飯を食べたり話をしたり出来た
・死ぬ瞬間ではなくて、余命宣告を受けた時点で会いたい人には会って話をしたいと思う
・死ぬ瞬間は出来るなら立ち会った方がいい。それをみることは儀式的な意味合いがあると思う
・死んで顔色が変わっていく様子、火葬などの様子、直接の家族が悲しんでいる様子などを見て感慨深かった
・祖母が亡くなった時、4日間遺体を置いておいてからの葬儀となった。4日間の内で肌のが変わって行き、傷み始めたのを見て、死んだことを実感していった
・お金のこと、延命治療やお葬式の希望などのことは話しておいた方がいい
・それらを話そうと思ったら死にゆく本人とケンカのようになってしまった
・本人が話したくない・話せないとしても、残された家族が同じ意見でまとまっていることが重要
親族以外が臨終に立ち会うことは基本的にはないので(必ずしもそうではありませんが)貴重な機会と捉えることも出来ます。見届けることをどのように感じるかは看取られる人・看取る人双方にとって意義深いことなのだと思います。
「人生折り返し地点を迎えてからが苦しい。出来ることが増えると自分が求める完成度も上がっていく。キリがない。過去の自分の仕事をみると恥ずかしい。これからも苦しみが続くの?」
・以前は勉強して、訓練して、資格取って…それで楽になっていくと思っていたけど、目指すところがどんどん上がって行ってツラくなるばかりで、もう弾けてしまった。そして、元々のこれが好きだと思った感覚を思い出した
・周りから見ると表現する技術があることはうらやましい
・どんな仕事ではツラさはある。平日のツラさを休日には持ち込まずに自分の時間や大切な人との時間に使って、分けるようにしている
・私は本当にやりたい事を商業ベースでやるのを止めてしまったのでもう苦しみが減った
・褒められても嬉しくない。自分のレベルが上がると周りが低く見えてしまって苦しい
・自分が成長したり成功したりモテたりすると母に嫉妬される
芸術分野のお話なのです。生きることの苦しみとでも言いましょうか、これをね、自分と似たような分野の人達とか利害関係のある人達と話すのではなくて、関係ない人達と話すことが大切なんだと思います。
「死にたい!殺してやりたい!と思ってみたことがある人は多いと思う。それを踏みとどまったのはなぜ?」
・子供がいたから。そして、子供がいたから問題が複雑になったという面もあった
・自殺した人の周りが苦しんでいる様子をみて来たから、それだけはしないことにした
・離婚した時、すごく大変だったけど子供がいたから頑張れた。もう20才になったから、頑張るの終わりで死んでもいいかも
・殺してやりたい、と思っても踏みとどまったのは会ったこともないけど従妹の子供がいたから。親戚に犯罪者が出たらかわいそうだから
・人生の諸々を全部始末して、旅に出たり、他の土地に言ったりすれば一度死んだも同然
・自分が死にたいから誰かを巻き込んで殺す、というような事件が頻発している。そういう人が事件を起こす前に誰かに出会えって欲しかった。自分をそのまま受け入れてくれる人に
罪のない子供を守りたいというのは本能的なものなのかもしれませんね。それが自分の子でなくても、親戚の子でも、たぶん目の前にいただけの関係のない子供でも。
「棺桶に入る時はどんな服を着ていたいですか?家族や友人が最後に見る姿であって印象に残ると思うので」
・昔はきれいなドレスを着たいと思っていたけど、今はそうでもない
・祖母が亡くなった時。最終的には母がパジャマを着せていた
・普通の白い装束でいい
・考えたことない。一人でひっそり死ぬからなんでもいい
・三角のやつ、頭に付けたい
・三角のやつに面白いことを書いておいて、笑ってくれるような人ばっかりが来る葬式がいい
・三角じゃなくてハートでもいい
・三角じゃなくてティアラ付けたい(火葬にそのまま出せる燃焼性の高いティアラ開発希望)
三角頭巾または天冠と呼ぶそうですが、意外と付けたいという人が大半でした。死んだ時しか付けるチャンスありませんからね・笑
あっという間に時間が過ぎました。みんながバランスよくお話し出来たと思います。気の合う仲間で集まって話すのはもちろん楽しいのは当たり前ですが、老若男女違う背景の人達で話すのはまた違う味わいがあって面白い!今回は感染拡大中だったために飲み会はやりませんでした。本当はもっと突っ込んだ話を聞きたかったなぁ。特に初めて参加して下さった方の背景はよく知らないので聞いてみたかったです。次回は飲み会も込みで開催できるようにお祈りしております。